日々のこと、趣味のこと、ひとりごと。
Im in Paris now.
(更新日時は日本時間になるので時差があります。)
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keykoworld:
graphicdesigner/photographer
2002年東京デザイナー学院卒
2008年パリへ
2009年夏、フランス人の彼と結婚
からの
2012年のお正月から実家のある大分へ
ちょこちょこと活動しながら今は旦那さんとcafe製作中。
コメント欄閉じています。お気軽にメールどうぞ☆
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チェチェンのおばちゃんの話を書いたばっかりだけど、今度はイランのおじさんと出会った話。
kimくんのおかげでまたひとつあったかい出会いがありました。
昨日kimくんとメトロで帰宅途中、向かいに座っていたおじさんが話しかけてきた。
ーハローハウアーユーエクスキューズミー
つたない英語で話しかけてきた彼、メトロのディレクションが合っているか確認したかったみたい。
その後も彼は話を続けて、わたし達2人はおじさんの話に耳を傾けた。
イランで本屋をしていた彼、フランス人ライターの書いた死刑に関する本を取り扱っていたところ、イランでは禁止されている内容が含まれていたため逮捕。5年間を刑務所で過ごした…
て5年?それだけで5年!?そう、5年間毎日看守に暴力をふるわれたって。
ほらって見せてくれた腕にも足にも小さい縫い傷の跡がたっくさん!
出所後、同じ場所にいられなくなってスウェーデンに移動、半年してパリに来たらしい。その辺りの話はよくわからなかったんだけど、パリに来てから7ヶ月。肉体労働の仕事で食いつないでて、今日は足を痛めたから病院に行く途中だって言ってた。
本当は家族のいるイランに帰りたいのだけど、イランの状況はどんどん悪くなってる、戻ってくるな!って言われてて…イランでは3円だったものが100円になって、着る服はもちろん食べ物だって高くて買えやしない。おじさん自身も帰りたいけどやっぱり外で働いてちょっとでもお金を送ってあげたいし…と言っていた。
なにはともかく、(ん!?)
ー7ヶ月間ハローハウアーユーエクスキューズミーを言い続けてこんなにちゃんと話を聞いてくれた人は初めてだ!お前、ベトナム人だろ?ベトナム人はみーんな親切だ。ちっちゃい子供から年寄りまで、みーんな必ず親切なんだよ!さっきもそう思ったから君達に話しかけたんだ、やっぱり親切だった!そう思ったんだよ!
ちょっと興奮気味で声を荒げておじさんがそう言った。
そんなにみんな冷たいかなぁ?と思ったけど、日本人で若い女の子のわたしのハローハウアーユー?とヒゲで服も爪も汚れてるおじさんのハローハウアーユー?では全く違うんだろうと思う。
おじさんにそう言われて嬉しかったし、別にいいかなとも思ったんだけど、わたしは日本人だよ!って訂正した。
訂正する時、なんでかな…ちょっと怖かった。おじさんが日本人にいい感情を持ってない気がしたから。それはたぶん、日本にもたくさんの不法労働者がいて、日本人は彼らに対して決していいイメージはもっていないと思ったから。
そしたらおじさん、あぁ!日本人だったかぁ、日本人も親切だなぁ、日本は給料がいいからいいなぁ、俺の友達も何人か日本で働いてるんだ!と。
ちょっと複雑な気持ちになりながら聞いてるとおじさんが付け加えた。
ー君たちの国のおかげで俺たちの家族は生きていけるんだ、ありがとう。
ありがとうだって!
わたし達の降りる駅がきて、おじさんに頑張ってとさよならを言って握手で別れた。
と思ったらおじさん、降りて追いかけてきて、
ー病院が終わったらちょっと遠くの町まで仕事に行くんだ、それにほら見てくれ、携帯電話のバッテリーも昨日切れちゃったけど、戻ってきたら飯でも食いにいかないか。給料もらって帰ってくるからケバブでも中華でもさ!
両方ともこっちでは気軽に入れる定食屋さん価格のお店。とはいえ大切なお金なのに。
電話番号を渡してお別れしました。
電話、かかってくるかしら。かかってくるといいな。そして少しでも寂しさが紛れればいいな。
ーハローハウアーユーエクスキューズミー
つたない英語で話しかけてきた彼、メトロのディレクションが合っているか確認したかったみたい。
その後も彼は話を続けて、わたし達2人はおじさんの話に耳を傾けた。
イランで本屋をしていた彼、フランス人ライターの書いた死刑に関する本を取り扱っていたところ、イランでは禁止されている内容が含まれていたため逮捕。5年間を刑務所で過ごした…
て5年?それだけで5年!?そう、5年間毎日看守に暴力をふるわれたって。
ほらって見せてくれた腕にも足にも小さい縫い傷の跡がたっくさん!
出所後、同じ場所にいられなくなってスウェーデンに移動、半年してパリに来たらしい。その辺りの話はよくわからなかったんだけど、パリに来てから7ヶ月。肉体労働の仕事で食いつないでて、今日は足を痛めたから病院に行く途中だって言ってた。
本当は家族のいるイランに帰りたいのだけど、イランの状況はどんどん悪くなってる、戻ってくるな!って言われてて…イランでは3円だったものが100円になって、着る服はもちろん食べ物だって高くて買えやしない。おじさん自身も帰りたいけどやっぱり外で働いてちょっとでもお金を送ってあげたいし…と言っていた。
なにはともかく、(ん!?)
ー7ヶ月間ハローハウアーユーエクスキューズミーを言い続けてこんなにちゃんと話を聞いてくれた人は初めてだ!お前、ベトナム人だろ?ベトナム人はみーんな親切だ。ちっちゃい子供から年寄りまで、みーんな必ず親切なんだよ!さっきもそう思ったから君達に話しかけたんだ、やっぱり親切だった!そう思ったんだよ!
ちょっと興奮気味で声を荒げておじさんがそう言った。
そんなにみんな冷たいかなぁ?と思ったけど、日本人で若い女の子のわたしのハローハウアーユー?とヒゲで服も爪も汚れてるおじさんのハローハウアーユー?では全く違うんだろうと思う。
おじさんにそう言われて嬉しかったし、別にいいかなとも思ったんだけど、わたしは日本人だよ!って訂正した。
訂正する時、なんでかな…ちょっと怖かった。おじさんが日本人にいい感情を持ってない気がしたから。それはたぶん、日本にもたくさんの不法労働者がいて、日本人は彼らに対して決していいイメージはもっていないと思ったから。
そしたらおじさん、あぁ!日本人だったかぁ、日本人も親切だなぁ、日本は給料がいいからいいなぁ、俺の友達も何人か日本で働いてるんだ!と。
ちょっと複雑な気持ちになりながら聞いてるとおじさんが付け加えた。
ー君たちの国のおかげで俺たちの家族は生きていけるんだ、ありがとう。
ありがとうだって!
わたし達の降りる駅がきて、おじさんに頑張ってとさよならを言って握手で別れた。
と思ったらおじさん、降りて追いかけてきて、
ー病院が終わったらちょっと遠くの町まで仕事に行くんだ、それにほら見てくれ、携帯電話のバッテリーも昨日切れちゃったけど、戻ってきたら飯でも食いにいかないか。給料もらって帰ってくるからケバブでも中華でもさ!
両方ともこっちでは気軽に入れる定食屋さん価格のお店。とはいえ大切なお金なのに。
電話番号を渡してお別れしました。
電話、かかってくるかしら。かかってくるといいな。そして少しでも寂しさが紛れればいいな。
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